※これは事実を元にしたフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものなのでご留意ください。
令和4年某日の昼下がり。
私は期限付きの業務を終えた安堵感に浸りながら、ベランダで煙草に火を付けコーヒーを啜っていた。
春の訪れはまだ遠く、肌寒いが故にダウンジャケットを着こんでいる。
(思えばかれこれ10ヶ月くらい出社していないな……)
月給は安くやりがいなどはほぼ皆無な今の会社に勤めて8年余り、昨年営業部門から外されマーケティング部門に異動してきた私は、完全テレワークの下、比較的ぬるい毎日を過ごしていた。
ノルマに追われず馬車馬の如く電話をかけることもなくなり、心の負担は幾ばくか軽くなったといったところだろうか。
とはいえ、下期からコンテンツの作成を一部任されていることもあり、過剰なデスクワークから(これは体の良い言い訳に過ぎない。本質的にはきっと運動不足が祟っているのだろう)偏光感覚が弱ったり体重が超過したりと悩みは堪えないのだが、ともかく。
“ピンポーンッ”
インターホンが鳴る。
“ピンポーンッ”“ピンポーンッ”“ピンポーンッ”
(………………)
当然の如く私は応じずに、居留守を決め込んでいた。
勿論、家賃や公共料金やその他を滞納している訳ではない。
“ピンポーンッ”“ピンポーンッ”“ピンポーンッ”
(これで、7回目)
暫くして、玄関付近より足が遠のく音が聞こえてくる。
私は思わずため息をついてしまう。
すっかり忘れていたのだ、本日が木曜日であったことを。
(ベランダに居るの、まさか見られていないよな?)
そんな懸念が頭に一瞬よぎるも、仮に件の来訪者が私の姿を確認していたらならばもう少し粘ったのだろうし、きっと見られていなかったのだと私は楽観的に考えることにした。
(しかし、一体誰なのだろう)
年が明けて少し経った頃からだろうか。
ある日を境にして、決まった曜日・決まった時間に、決まった回数だけチャイムを押されるのが日常となりつつあった。
宅配サービスは置き引きに指定しているし、マンションの郵便受けには不在訪問の知らせの紙も何も入っていない。
不気味である反面、多少の興味もあった。
(かれこれ2カ月連続だもんな。本当、要件は何なのか)
憶測や妄想をするも、どれもこれも要領を得ない内容ばかりである。
関わるに越したことは無い、しかし気になって仕方がない。
(そうだ。応じなくとも、覗き穴から見れば誰が来ているか分かるのでは?)
良い風に言えば閃き、悪い風に言えば単なる思い付き。
ともかく私は、次の週に定期的にやってくる来訪者の素性を知るべく、一方的な観察を行う決意をしたのだった。