※これは事実を元にしたフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものなのでご留意ください。
話は変わるが、私は麻雀漫画を読むのが好きだ。
符計算もままならず、雀荘に足を運んだことは一度っきりのにわか丸出しではあるのだが、劇中の人物たちがヒリつきながら牌を切る姿に心打たれるものがあるからだ。
中でも【凍牌】という作品は何度も読み直すぐらいには愛好している。
理由としては、主人公であるケイという男の子が目に見えない“ツキ”や“流れ”などを度外視して、淡々と理論的な打ち回しにて並みいる強豪を撃破していく過程に好感が持てるからだろうか。
また、彼は過去何十日にもさかのぼって自分が食べてきた献立を空で列挙できる程に非凡な記憶能力を持ち合わせている。
実際にやってみれば分かるが、これが中々難しい。
私の場合たった2~3日だけでも怪しいものだ。
前置きが多少長くなってしまったが、要は何が言いたいかというと、私はすっかり忘れてしまっていたのだ。
一体何を?
正体不明の来訪者を観察するために、あらかじめ玄関の前で待ち伏せておくという行為を。
前日である水曜日が祝日であったのも一因といえようか。
「今日と明日をやり過ごせば休みだな」という安直な考えの下、私は昼過ぎに近くのファミリーレストランで食事を済ませ、煙草片手に自宅のマンションへと戻っていた。
木曜日、時刻は13時を回る頃。
階段を上がった所で、自室の前に見慣れぬ女が立っていた。
私はしまったと心中で舌打ちし、思わず硬直してしまう。
すぐさま引き返せばよかったものの、マンション最上階の角部屋という立地条件に加えて、あにはからんや次に取るべき行動が遅れてしまった。
部屋の前に立っていた女はその場でたじろいでいる私にすぐ気が付き、きびきびとした歩調で近付いてくる。
肩口までまっすぐに伸びたストレートの黒髪。
上下ともにぱりっとした紺色のスーツを着、背は私の頭一つ分くらい低い。
相手はにこやかな表情を浮かべているが、当然ながら今までに面識のない人物だった。
「こんにちは!」
「ぇぁ、あ。はい、どうもこんにちわ……」
ハキハキとした口調での挨拶に対し、たどたどしいながらもなんとか応じることが出来た、のだと思う。
「やっとお会い出来ましたね。良かったです!」
「はぁ」
「今日こそはたぶん……って思ってたんですよ。いけるんじゃないかなぁ~って」
「そうですか」
嬉々として面会できたことに喜んでいる女とは対照的に、私は要領を得なかった。
あなたは一体誰なんですかという簡単な質問すら、口に出すのも憚られているぐらいには。
「ととっ、申し遅れました。私ナガノといいます」
疑問に先回りして名乗られても、やはり記憶には無い。
「念の為お伺いしますが、〇〇さんでお間違いなかったですよね」
「えぇ、まぁ」
先程まで女が待機していた玄関先にネームプレートがあるのだから、こればかりは白の切り様が無かった。
後から思えば、知人を装えば回避できたのかもしれないが、もはや後の祭りである。
あるいは覆水盆に返らずともいう。
「良かったです! でですねぇ。出会い頭で恐縮なんですけど、少しお時間をいただくことは可能でしょうか?」
「あの……一体どのようなご用件で?」
質問を質問で返す失礼をものともせず、満面の笑みで彼女は私にこんなことを言った。
「〇〇さん。ぜひ私たちの教団-トライブ-に入っていただきたく――」