・前回・
そんなこんなで、二日目である。
笠が売れる確率を少しでも上げるべく、儂は明け方より更に早い時間帯には身支度を済ませ、城下町に到着したのが午前七時過ぎ。
昨日は町の西側に拠点を構えたが、本日はそこよりも人通りの多い東側へと場所を変えての、座り込みである。
簡易な露店を構えてから何事もなく五時間が経ち、昼飯という名の休憩を挟んで、また五時間があっさりと経過する。
道行く通行人どもといえば、彼ら彼女らはほんの一寸も足を止める事は無く、手元に目線をやりながら無言であてどなく右へ左へと流れていく。
その様は色とりどりの絵の具で彩色された巨大な蟻の行列行進の様にも見受けられた。
ならばかような流れを茫然として眺める儂は螽斯(きりぎりす)かと思いが浮かんだのだが……いやいやそれは違うぞとかぶりを振る。
完全一辺倒な待ちの様式を取っているとはいえ、肉を得る為の対価である金を手に入れるべく懸命に働いている己が、よもや童話の筋書きと同様に遊び惚けた末に餓死する訳も筈もあるまい。
――などと自家撞着じみた意味不明な思考の迷宮に囚われかけていた、その時である。
西日を遮る人影が、茣蓙に跪坐(きざ)する儂を覆った。
「こらこら、駄目でしょ。昨日も注意したのに、まぁた無許可で勝手に商売始めたら。なんならしょっ引くよ? 今すぐしょっ引いちゃうよ? 御用を御所望なのかい、貴様は??」
ぱしりぱしりと腰に差した得物を手で叩きながら、見覚えのある人間が立っていた。
「あいや。すいません、ですが今の儂にはどうしても金が必要でございまして……」
媚びへつらう儂の態度に自尊心が満たされているのか、はたまたそれが彼の傲慢さを増長させてしまったのか、中年男性憲兵は意地悪そうに口角を吊り上げ、にやにや笑いを浮かべながら、詰問の勢いを削ごうとはしなかった。
「貴様の事情なんかねぇ、どうでも良いのよ。どうだって良いのよ。公衆厠に捨て置かれた、残量の少ない拭き紙よりもどうでも良いのさ」
「ほら、あそこにある立看板にも書いてあるっしょ。“この近辺で許可なく露店及び物売り行為を禁ずる”って、字ぃ読めないのかい君は」
「生憎じゃが学び舎には通った経験がありませんでして……すみません、すみません……」
かくも何の因果で一回りも年下の公僕風情に儂が頭を垂れなければならないのだもうお前その辺で転んで頭を石に打ち付けてなるべく苦しんだ後にくたばれと内心思うも、決して口には出さず、ひたすら謝罪の意を声に出して懇願する。
「ひょっとして立場上謝り続ければ見逃されるとでも思っているのかなぁ。うざったいねぇ。煮え切れないねぇ。老人であっても女子供であっても、僕は容赦はしやしないよ?」
「あの……あのですね……す、すいません……」
「かっちーん! ぷっつーん!! ばっきーん!!!」
謎の擬音語(おそらく癇癪の度合いを意味するそれだろう)を発する中年男性憲兵。
「気に入らない気に入らない、気に入らないよその態度。不快度指数限界突破、本官の忍耐度の許容量をとっくのとうに越えちゃってますわぁこの案件ってば」
腰に巻かれた帯革に差された金属の留め金がぱちりと音を立て外されて。
はたして中年男性憲兵は、装備する細長な得物を斜め上段に振りかぶった。
「昨夜発生した強盗殺人事件でこちとら不眠不休で大忙しだってのにさぁ。厄介事をこれ以上増やされる前に、もういいや。超法規的措置っちゃおっと」
鈍く輝く凶悪な反射光が、威圧的に儂を照らした気がした。
「さぁーてではでは、言ってもわからないから直接その身体にわからせて――」
ぱしんっ、と。
誰かが誰かの腕を掴んだ音が聞こえた。
「怖がらすのはそこ等あたりで良いのではありませんか」
「なんだと。本官はイライラするとムカムカするんだ! ていうかご婦人、貴様は何者?」
「こちら私の家内の者でして。目を離した隙にいつもこんな“お店屋さんごっこ”に興じてしまいますのよ。私から後程十分に叱っておきますので、今日のところは何卒お目こぼしおば……」
赤頭巾に長外套を羽織った金髪碧眼が、中年男性憲兵に向かってぺこりぺこりと頭を下げていた。
発火材売りの老婆、叶芽維悔である。
「勿論タダで事を収めるつもりはございません。どうです? ここでは人目もあって恥ずかしいので……どうかあちらの路地にてお話しませんか――」
「ゴクリ……よっ、よかろう。って、おい貴様っ! 見逃すのは今日が最後だからな。次に見つけたら暁にはこの斬鉄剣の錆にしてやる故、覚悟しておけよ!」
捨て台詞を吐き名残惜しそうにする中年男性憲兵をやんわりと儂から引き剥がしながら、叶芽は馴れ馴れしく腕を絡めつつ萎びた老体を必要以上に密着させ、二人して路地裏の暗がりに消えていった。
(殴打の憂き目に合わずには済んだのだが……はてさて、世の中には変わった性癖を持った御仁も存在するのじゃな)
願わくば梅毒に罹ってなるべく苦しんで末期の水をとる中年男性憲兵の未来の姿を夢想し憂さを晴らす儂であった、が。
あいも変わらずこの日をもってしても、笠は一つも売れる事は無かった。
【続く】
・次回・