・前回・
二日連続で売り物である笠が売れずに、とぼとぼと途方に暮れながら、儂は家へと帰宅した。
落胆する儂とは対称的に件(くだん)の発端を担っている土岐子といえば、布団を首の下までかぶって、心底穏やかそうな表情で眠っている。
傍から見ればそれは、まるで命の無い無垢な人形の様な有様であった。
「なぁ土岐子や。悪いが今日も駄目じゃったよ。明日こそなんとかするから、暫し待っていておくれ」
愛するべき嫁に語り掛けながら、儂は炒った大豆をぽりぽりとかじって、簡単な夕げを済ます。
「そういえばなぁ、いつもと違う帰り道を通って来たのじゃが、地蔵様らが祀られている場所があったよ」
「生憎お供え物は用意出来んかったが、お前が望む肉が手に入るよう、お参りをして来たんじゃ」
城下町と家の中間辺り、銀杏木が群生する川の近く。
七体の地蔵達の前を、儂は通って帰って来た。
長年放置されていたのであろうか、表面には深緑色の黴(かび)やら植物のつたやらが纏わりついており、せめてもと儂は一体ずつ丁寧に手入れを行い、首尾よく肉が手に入るようお祈りをしたのだった。
この時点で、そうした行為が生む因果を、到底儂には予測できる筈も無く――
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「やっほほやっほ。 おっはよー! しっかしまぁ笠、全然売れないねぇ」
三日目、城下町東側、往来の付近にて。
寝ても覚めても成果が出ずにぶすっとした不機嫌な表情の儂を嘲るように、叶芽が寄って来た。
「失せろ。儂は忙しいんじゃ」
「はぁーん。取っちゃうんだ、そういう態度を。おにーさんのこと折角昨日は助けてあげたのに、不躾な感じで応対しちゃうキャラなんだ?」
この下賤な老婆が言わんとしていることは十中八九、昨日の夕方に儂と中年男性憲兵が揉めた際の仲介に対する礼が無い件であろう。
「儂は助けてなどと頼んでおらんし、勝手にお前がやったことじゃろうが。つーか正しい日本語を使え。なんじゃ、きゃらって」
「まぁいいんだけど。ねぇ坂田のおにーさん、もしさ。もしだよ? またあの警察官がおにーさんの商売を邪魔しに来たら、どうするつもりなの?」
「別に何もせんよ。平謝りに徹して事なきを得る。権力という名の後ろ盾を持つ輩に、正面切って喧嘩を売るほど愚かではない」
「ふぅーん。具体的な策は無し、か。そんなおにーさんに、坂田のおにーさんにさ。今日は二つ耳寄りな情報を持って来たんだけど、聞きたい?」
人差し指と中指をぴんと立てて、叶芽が微笑む。
「金なら無いぞ。一昨日絡んできた子供らにも儂はそう言っている」
「嫌だなぁ。そんなつもりはないってば。疑り深いんだから。えっとね、まず一つ目なんだけど――この先一生、あの警察官がおにーさんの邪魔をしに来ること、無いから」
「……はぁ?」
「そもそもさー、坂田のおにーさんから見て、あたしってば何に見える?」
「何って、物売り紛いの老いた娼婦じゃろうが」
「ぶっぶー! 違うんだなぁそれが。実はねぇ、人攫いなんだよねぇイヴちゃんは」
「っ! ……くかかかっ、か~っかかかっ!!」
人目もはばからず、儂は意図せず呵呵大笑してしまった。
「えっ、何々なんか面白いことでもあったの!?」
「面白い冗談じゃの、一本取られたわ。馬鹿馬鹿しくて呆れるわ。事実そうだったとしても、不細工な老婆が犯罪自慢とは、笑かしよる」
腹を抱えて小刻みに震える儂を尻目に、叶芽はにこにこと笑いながら見ている。
「そうだよねぇ。自分からそんなこと言うもんじゃないよねぇ。普通なら隠すものねぇ」
「含みがあるな。何が言いたい」
「坂田のおにーさん、私知ってるんだよ?」
「一昨日晩未明に発生した町外れにある酒屋一家強盗殺人事件、あなたが犯人なんでしょう?」
【続く】
・次回・