・前回・
家に着くやいなや、儂は可及的速やかに夕げの支度を開始した。
囲炉裏に火をくべ、山菜を中心とした野菜類を刻み、出汁となる乾燥鰹を削り、主役である肉を適度な大きさへと切ってゆく。
食材を鍋へと放り込み、ことことと煮込んでいる内に漂ってくる香りにあてられたのか、寝たきりであった土岐子がううんと寝苦しそうな声を上げた。
起きる用の薬を処方せずに済みそうだなと安堵した刹那、
とんっとんっとんっ
……と、規則的に入り口の戸を叩く音が聞こえてきた。
(こんな夜更けに……というか人が訪ねてくるだなんて一度もなかったのに、一体誰じゃ?)
儂は訝しんだ。故に、無視して居留守を決め込むことにした。
が、しかし。
とんっとんっとんっ
とんっとんっとんっ
とんっとんっとんっ
(……………………しつこいな、どうにも)
晩餐の用意はもうすぐにでも整いそうな中、来訪者は去る気配を見せない。
どころか、次第に戸の叩かれる音の間隔は狭まっていき、その音量をも増してきていた。
ダンダンダンッ!
ダッダダダンッ!!
ダダダダダダッ!!!
一つや二つではない……数人以上が同時に拳を木戸へと叩きつける騒音が、前方より響いてくる。
何やらただ事では無いと判断した儂は、囲炉裏の前より身体を起して立ち上がり玄関先へと進み、内側からかけられた閂(かんぬき)を外して木戸を横に引いた。
「五月蠅いぞ! こんな夜更けに何のよ……用が……」
出だしこそ怒鳴ってはいたものの、ここで儂はぎょっとする。
山中の闇を背景にして、そこには七体の異形が立っていたからだ。
小柄な儂よりも更に背丈が低いそいつらは、同時に一斉に片腕を前に突き出しながら、各々が意味不明な文言を口ずさみ始めた。
「――盗り喰う覆うは鳥居――」
「――差し出せば去り――」
「――差し出さねば去らぬ――」
「――加死か拷問か――」
「――老いし者よ決断せよ――」
一見して子供の様に見てとれるそれらは、しかし離れた囲炉裏の火の明かりに照らされた容貌の異常さから、この世にあるまじき存在であるのは明白だった。
爛(ただ)れて腐り落ちそうな皮膚。こめかみを貫通した無骨な一本釘。底の見えない南瓜を刳り貫いたかの様な顔面。肉という概念が一切無い真白な頭蓋骨。後頭部より不自然に飛び出している瘤(こぶ)。額より突き出した二本の角。鼻から下を乱喰歯で埋め尽くしている口蓋。
(化け物……!!)
咄嗟に儂は現出した異形らを遮断するべく、思うよりも早く戸を閉めようとした。
さすれど、その試みは実現に至らない。
「ッ!? ぐ、ぅうぅ……!!」
手の甲に鋭い痛みが走り、どうやら刃物で刺されたようだ。
悶絶する儂を鬱陶しそうに振り払うようにし、正体不明の存在らはずかずかと敷居を跨いで――家への侵入を許してしまった。
「――金子はどこじゃ――」
「――あるべきを我らは見れり――」
「――金子はどこじゃ――」
鬼と髑髏が儂を見張り、残す五体がさして広くもない居室をうろうろと歩き回っている。
どうやらこ奴らは何かを探しているらしい。
理不尽な暴力に屈しそうになりながら何もできないまま、儂は何でもいいから早くこの場から消え去ってくれないかと、脂汗を垂らしながら無言で願い続ける。
「――待たれり此れかぐわしき香り――」
「――腹ごしらえも止む無しが――」
「――されど我らが牙は血を欲さじ――」
「――喰らうか探るかあるいは殺むか――」
(まさか……おい。おいちょっと待て……)
晩餐である肉の入った鍋を煮込む囲炉裏の向こう。
目覚めの時を控えた土岐子の下へと、異形の者らは滲みよっていた。
「――これはこれはいみじう穢き――」
「――見るに堪えぬ浅ましさよおほほほ――」
「――つらしもはや一時たりとも辛抱たまらぬ――」
「――とく殺めりとくとく処せりとくとくとく――」
玄関先にて差し出さなかったもう片方の手。
五本それぞれに握られる、刃物と鈍器と刃物と鈍器と、そして刃物。
「「「「「――やぁぁあああああぁああぁああ――」」」」」
頭上に得物を振りかぶり、気の抜けた五重奏の掛け声と共にそれらが同時に振り下ろされる。
寝具を染め上げ、木目の床を伝う大量の血液の臭いを嗅いだ辺りであろうか。
たぶん儂は発狂した。
【続く】
・次回・