二十年近く昔のことになって恐縮なのだが、誰も彼もがそうであったように、僕もその頃はもれなく子供だった。
精神的にと問われたならば、胸を張って首肯できないにせよ、肉体的には小学5年生のそれだったと思う。
11月の初旬だったと記憶している過去の午後六時頃、僕はショルダーバックを背負って玄関を出た。
マンションの名前は覚えていないが、確か1階の104――いや、105号室だったか?
ともかく端から二つ目の部屋に当時は住んでいた、のは確かだ。
あってないような門扉を潜り、右手にあるミニストップを正面に左折する。
少し歩くと金蔵寺というお寺が左手に見えてくる。
奥に覗く境内を横目に、僕は駅前にある進学塾への歩みを進めていた。
もうすこしばかりいくと、寂れた駄菓子屋と小さな郵便局が見えてくる。
左に折れ曲がる道なりに、だんだんと傾斜がきつくなってくる。
いわゆる坂という奴だ。
二年後には早朝5時にこの赤門坂を毎日登って、東急線と井の頭線を乗り継いで片道1時間半の道中をもってとある大学付属中学校に通うなどと、誰が予想できようか――まぁいい、今回はその話題について言及するのはよしておこう。
ともかく、初冬の寒さに身を震わせながら、なんとか僕は坂を登りきって、目的地までの距離を詰めていく。
省みれば、この時に震えていたのは、寒さの所為だけだったとは言い難い。
成績が極端に悪かったのもあって――この日の世界史特別カリキュラムに、果たしてちゃんとついて行けるか一抹の不安があった訳でもないのだけれど、それも違う。
悪いことを、しようとしていたのだ。
子供というカテゴリーから大きく逸脱した行動を、絶対者である両親に黙って敢行しようとしていた、そんな後ろめたい気持ちが一番の理由だった。
罪悪感に、背徳感を。
多少なりとも、感じていたのだと思う。
そもそもカリキュラムの開始時刻が19時半からという事実を親が知っていたならば、当時の僕の異常な行動は言い訳するまでもなく看過されていただろう。
進んで勉強をする程には、ちゃんと不真面目で通していたのだし。
この『ちゃんと不真面目』という語感にくつくつと笑いながら(一人でいるのに笑っているのは子供と言えどもあまり気味の良いものではないだろうし)僕は日吉駅から蜘蛛の巣状に広がっている西側の五つある通りの、真ん中の通りに差し掛かっていた。
歩きながら、道路の両脇に展開されていく商店を、ちらちらと見る。
公文式から今の進学塾通いを始めた半年の間に知った、馴染みの深い店々を、見ながら歩く。
コンビニであるam.pmで買い食いする肉まんはおいしいし。
ゲームショップであるカメレオン倶楽部では新作のソフトを眺めたりカードパックを買えたりでわくわくするし。
特に、行きつけの古本屋では漫画本が中古で手に入れられるので(あるいは読み飽きたものを売ることで現金が手に入るので)働いていなかった僕にとっては、かなり都合の良い場所であったのだ。
ただし、今日に至ってはそれらも興味半ばといった所か。
いや、厳密に言えば読み進めていた“ダイの大冒険”の続きが気になっていたのも確かなのだけれど(強すぎるバランに対して勇者一行がどう立ち向かうのが気になって仕方なかったのだけれど)今の僕にはそれを上回る目的があったのだから。
だから家を早く出たのだ。
昨年の誕生日に買ってもらった白と紫のベビーショックを巻いた左上の裾をまくって、現在の時刻を確認する。
18:23。
デジタルの液体が示すそれを見て、僕は「一時間は遊べるな」と胸を撫で下ろす。
そして、大通りから逸れて、目的地の前へと到着した。
『プレイスポットーラッキーバニィー』
汚れた電光看板に書かれていたそこは、いつもならば通り過ぎて眺めるだけだったのだが、今日の僕は違った。
ズボンの右ポケットに入っている財布には、硬貨がぎっしりと詰まっているのだが、あえてこの日の為だけに用意して来たといっても過言は無いだろう。
はっきりいって、この頃からギャンブル依存症の片鱗があったかもしれないが、当時の僕にはそれが違法賭博だということは知らなかったし、あと一年余りで訪れる中学受験へのプレッシャーから逃避したかっただけなのかもしれなかったが、ともあれ。
僕はその、10円ゲームと銘打つ店舗へ、這入って行った。
【後編へ続く】
本日もお時間をいただき、ありがとうございました。