貧しけれども正直であれ。
善行を積み続ければゆくゆくは極楽浄土へのお導きが訪れるであろう。
……なんて。そんな当たり前の思想――というか、道徳心を持って五十余年生きては来たが。
どうやらそれは間違いであったようだ。
血に濡れた鉞(まさかり)の柄を握りしめて、儂は茫然自失の心地から立ち直り、薄暗い土間をゆったりと見回し、そして意味もなく歩き回っていた。
屋内であるからきっと徘徊老人の分類には当てはまらないだろうなぁ、などとまるっきり無意味な内心の呟きに対して、至極自嘲的な含み笑いをくつくつと漏らす。
ともすれば状況は、全く笑えないのだが。
どれほど過去を嘆いたとしても改善が見受けられないのは自明の理であるとしても、それでも回想せずにはいられなかった。
目を瞑り、どうしてこのような事態に陥ったのか――遡る。
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三日前の早朝。午前三時半(あるいは丑三つ時が少し過ぎた頃)に、儂は粗末な藁蓑を纏いながら、庭の縁側付近で薪を割っていた。
振りかぶっては、振り下ろし。
真っ二つにしては、また置きなおす。
そんな無間地獄にも似た単調作業を繰り返し繰り返し、何故日中ではない今(しかも雪が吹き荒れる極寒の冬季真っただ中にて)敢行しているかと問われれば、答えは一つしかない。
嫁の命令であるからだ。
土岐子は今年で齢六十と七になるが、見た目は二十歳そこらの生娘と遜色の無い、老いている気配を全く感じさせない容姿である。
むしろ年を経るごとに若返っているまでもあるような……。
話が逸れてしまったが、そんな儂の嫁――土岐子は有り体に言って、暴君であった。
事あるごとに文句を言い、湧きいずるあらゆる不満不平の全てを夫である儂へと余すことなくぶつけてくる。
日々における精神的苦痛にいたぶられながら、どうして儂が彼女へ反抗しないかというと、主だった理由は二つ程あった。
一つ、前述にあるよう容姿端麗な嫁へと逆らうのには抵抗があるから。
二つ、稀に与えられる甘美なる“飴”の魅力には抗えないから。
以上である。
比喩表現で無く実際に九十九の苦痛を味合わされようとも、端から眺めれば孫娘とも勘違いされるような、超絶に美麗な土岐子との稀々にある逢瀬は、老い衰えた枯木が如き風前の灯火さながらな爺の儂ですらも奮い立たせる効果が、歴然としてあったのだった。
あるいは被嗜虐趣味が自分にはあるのかもしれない。
かじかんだ手を吐く息で温めながら作業を続け、ようやく完了したのが東に陽が射した辺りであっただろうか。
朝げを用意するべくいそいそと草履を脱ぎ、鍋の準備に取り掛かっていると、少し離れた襖から、半分ほど整った顔を覗かせながら、蚊の鳴くようなか細い声で、愛すべき嫁は儂へと新たな命令を与えてきた。
「ねぇあなたわたし肉が食べたいの今日食べたいのなんなら今すぐにでも食べたいの待ちたくないの待ちきれないのだからなんとかしてていうかしろ」
心の奥底で無茶振りが過ぎると舌打ちをしながらも、儂は快諾し、急遽日中の仕事を棚上げにして、城下町へと赴く旨を土岐子へと伝えたのだった。
【続く】