既知であった関係性のある人々の遺体や損傷部位を立て続けに目撃した僕であったが、どうにも状況に慣れてしまったようでいて、いよいよ心細くなってきているというのが本音だ。
人は一人では決して過ごすことは出来ずにいるのが、独りに耐えられないからだという持論に則ってではあるのだが。
よって、小村さんの死体と、千華のものだったらしき両手首と、大橋さんの生首は実の所そのままにしておいてある。
時期柄、今が夏でなく冬に差し掛かる晩秋であったのが腐敗具合を遅らせているであろうとはいえ、僕のみで後片付けをするのは忍びなかったし、何よりこの先の事を考えて現場保存に徹した方がプラスになるだろうという、根拠のない浅はかな考え故である。
死体、肉体の一部位、死体と続けば、次も肉体の一部位が転がっているというのは安易な考えであろうか。
茫洋としながら、僕はふらつく身体をなんとか引きずって、次の部屋へと訪れたのだった。
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「これは強盗にでも遭ったのかい? それかまるで台風が通過したような」
SOSの知らせをショートメッセージで受け取り、僕は博物館へ向かう予定を急遽変更し、大学から徒歩10分圏内にある彼女の下宿先(オートロック・エレベーター付き)のリビングへと到着するな否や、そう呟いた。
「あっ、あの不破くん、これはね、強盗でも台風でもなくて……違うの。ちょっと頭がワーッ! ってなった所為で……」
舌足らずな口調にて、しかし精錬された“THE成人女性”である外見との対比がアンバランスさを際立てている、彼女こと幸泉稀子(こいずみれあこ)は弁明とも取れる説明を僕へと施した。
目元が赤いのはきっと僕が到着するまでの間に泣きはらしたからなのだろうなと、声には出さずとも頭の中で僕は予想する。
「とりあえず片付け、手伝うよ。破片とか足に刺さると危ないから、暫くじっとしておいて」
フローリングの床に所狭しと散乱した、割れた食器だった数々の残骸を拾い集めながら、僕は言った。
「ご、ごっごめんね。いつも後処理ばっかり押し付けて、嫌な奴だよね私って……」
「気にしないで。頭がワーッってなったんだししょうがないよ。幸泉さんは悪くないさ」
じわりと目元が潤んである彼女を視界に入れないようにしながら、なんてこともないような風に返事を返す。
「ごめんなさい……ぐすっ……」
「ちなみに今回はどんな嫌な事があってこんな風になっちゃったの。や、言いたくなかったら別に言わなくてもいいけど」
「あのねっ、目玉焼きを作ろうとしていたんだけど、卵を割った時に卵黄が二つ出てきたの。一つの卵を割ったのに二つ、出てきちゃったの」
「普通は一つの卵を割ったら一つの卵黄が出てくるのになんで二つも出てくるんだろうなんで私だけ普通じゃないんだろう別にズルしている訳じゃないのになんでこんな目に遭うんだろう嫌だなぁって考えると考え始めちゃうと考えないようにしてもそればっかり考えてしまってひょっとして何か悪い事の前触れなんじゃないのかなぁなんで私だけがこんな目に遭うんだろうって」
後半部分、殆ど句読点無しに、まるで小学校一年生の国語の教科書の読み上げかのように一気に捲し立てる彼女は、まぁそれなりに怖かった。
常人であればラッキーぐらいしか思わない事象であろうとも、自己肯定感の極端に低い幸泉さんからすればそれは凶事に他ならないらしい。
「うん、おっけ。大丈夫、大丈夫だよ。とりあえず部屋片付け終わったら、ご飯を食べに行こう。奢るよ」
「ごめんなさい……ぐすっ……」
謝られる謂(いわ)れはないにしろ、それを指摘したら咎められたと取り違えられて別の負のスパイラルに陥ってしまうことは安易に予想できたので、僕はそれ以上質問を重ねる事無く、黙々と清掃作業に没頭し続けた。
で、結局色々あって当初の予定である博物館へ向かうことは叶わず、そのままドタキャンをしでかしてしまった僕は幸泉さんと別れた後に、彼女へと謝罪の文言をスマートフォンより送信した。
【ごめん、ちょっと急用が出来た所為で今日いけなかった】
【ころす】
送信と同時にディスプレイに表示されたたった三文字ばかりの返信内容に背筋が凍る思いを覚えつつ、疲労感一杯の僕は家へと帰宅するべく足を早めたのだった。
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「幸泉さん……?」
うつ伏せで床に突っ伏している彼女へと、おそるおそるながらに声を掛ける。
照明機能が失われた室内は昼間といえども薄暗く、かといって閉められたカーテンを開けるのは何故か憚られて、とりあえず彼女の安否を先に確認しなくてはならないという謎の使命感が僕を駆り立てていた。
「あの、えっと幸泉さん……生きてる?」
不気味なほどの静寂が、内面に流れる時間感覚を狂わせる。
暫くして返事が無かったので、僕は諦めて陽光を部屋へと取り入れるべく室内へと這入って行こうとした刹那、投げ出された両手がびくりと痙攣するように、跳ねた。
「うわあっ!?」
情けない声を上げながら硬直する僕を尻目に、彼女はのそりのそりと起き上がろうと試みていた。
その様相はゾンビさながらだとはいえ、何にせよここで初めて自分以外の生存者と邂逅を果たすことが出来たのだと、その時ばかりは僕は安堵していた。
しかし生きているとはいえ、幸泉さんは五体無事からは程遠い、明らかに様子がおかしかった訳で。
「ッ……ッ……! …………ッ、ッ……………!」
喉元を負傷した彼女からは、声帯という概念が失われていたのだった。