宮園クランがなんやかんやで小説家になるまでのブログ

凡そ社会的地位の無い30代男性が小説家を目指す為のブログ

自分がギャンブル狂いの借金持ちとなるまで<中編>

前の前の記事の続きです。

 

 

合宿中にサラ金の督促電話が自宅に来て親にバレた所からになります。

 

 

帰宅後、それはそれはもう烈火の如く両親から怒られました。。

 

 

限界突破のフルバーニングで、多分生きて来た中で2番目位に叱られたのではないのかなぁと。。。

 

 

※1番目はこの後すぐに後述。

 

 

カードは取り上げられて、ショックで何もやる気がせず1週間ぐらい家から出れませんでした。

 

 

でもこの時点で4回生且つ卒業まで単位が60くらい足りなくて、留年確定だった為、8日目からようやく大学へ授業を受けに家から出れるようになりました。

 

 

………速攻でスロットの新台を打ちにパチ屋へ向かいましたが(クズ)

 

 

80万の借金を全額支払ってもらい、なんとか1年で卒業するのでと留年の許可迄もらってたのに、というか反省する気ゼロで、5号機の秘宝伝を暫くアホみたいに毎日打っていました。。

 

 

で、バイトの給料のみでやりくりする日々が続くのですが、夜勤だけだとまた足りなくなってきたので、早朝勤務をシフトにプラスし、延長して働くようになります。

 

 

ここで、早朝勤務のスタッフさんと付き合うという、私の人生を狂わせた第2の間違いが発生します。

 

 

当時21歳だった私の12こ上の年齢(干支が一緒)で4歳の子持ちバツイチの彼女を、仮にKさんとしましょう。

 

 

文字だけ見ると相当地雷ですが、女優の真木よう子さんを金髪にした感じの綺麗な人でした。

 

 

付き合い出してKさんの家に泊まる頻度が増え、大学にも再び行かなくなり、自宅にいれば常に両親と口論する日々が続き、結果私はとんでもない行動に出ます。。

 

 

結婚するつもりだったので大学へ退学届を出し、両親には何も伝えず事実上の家出を敢行(ドクズ)

 

 

周りが見えておらずガキが癇癪起こして自爆した、最も愚かな行為ですね。浪人してまである程度良い大学に入ったのに、自主退学したせいで、社会的には高卒って奴です。あたしってほんとバカ(SYK)

 

 

暫くは彼女の家とコンビニを往復する気ままな生活に浸っておりましたが、当然のごとく親にバイト先を特定され(たぶん興信所使ったんだと思う)自宅へ強制送還され、修羅場リターンズです。

 

 

はい、これがさっき書けなかった[生まれて一番怒られた]って奴ですね。。いやぁーマジできつかった。。。。

 

 

結果としてはKさんとは結婚を前提に付き合っており、遊びじゃないので定職について養っていくんだと言う私の懸命な説得により、両親には一旦納得してもらえました。

 

 

このタイミングで、コンビニバイト→特殊清掃業へジョブチェンジし、本格的に毎日働く日々が始まります。

 

 

週休1日で曜日によって働く時間帯が全然違う(AM4時スタートもあればPM5時スタートもある)不定期なシフトに加え、実質やってることは肉体労働オンリーというクッソ過酷な仕事を2年ほど続けます。。

 

 

※この仕事内容は今でこそ笑える理不尽さが満載だったのでいずれまた書きます。

 

 

そして、いよいよ籍を入れようかということでKさんの両親にご挨拶に行くことになりました。

 

 

普通に良い人たちでした。何よりKさんの連れ子に懐かれており、前の旦那と比べ責任感があると褒めていただき、内心ウキウキでした。

 

 

しかし、

 

 

ここで一気に冷める事が起こり、2カ月後にKさんと私は別れることになります。。

 

 

「結婚してもいいけど子供は新たに作らない」と彼女に言われました。

 

 

え?何??そんな事今まで一度も言わなかったじゃん???むしろ女の子欲しいって言ってたじゃん?は?どゆこと???

 

 

頭の中が疑問符で埋め尽くされ、Kさんに問い詰めた所、彼女の両親にそれを条件に婚約の許可をもらったからだ、と泣きながら打ち明けられました。

 

 

思い返せば、至極当然の意見です。一時期とはいえ片親で、血の繋がっていない私が新たに彼女と子供を作り、対等に分け隔てなく愛せるのかと心配だったのでしょう。子の幸せを願えば当たり前だろって話です。。

 

 

ですが、当時の私にはそれが分からなかったし、何より許せませんでした。

 

 

お前最初と話が違うだろ、と。

俺だって自分の子供欲しい、と。

何の為にきつい仕事して頑張ってんだ、と。

 

 

今となってはこれが原因で別れて大正解だったと思います。

 

 

若いうちは耐えれますが、年に人身事故が幾度となく起こる、苛酷な仕事をしながら、毎日己を騙して耐え続けれていたとは到底思いません。。

 

 

要は成人してはいるものの、まだまだ精神的には未熟だった訳ですね。

 

 

こうして私はKさんと別れ、無事自宅へ出戻りしました。だいたいこの時点で23歳くらいだったかと。

 

 

………前後編でまとめるつもりが、全然まとめれてない件について(滝汗)

 

 

次でおそらく完結!