一体いつになれば成長するのやら甚だ疑問な、宮園クランです。
捉え方次第ですな。それではご覧ください。
激ストレス負荷。
本日午前中、事案2件による対処というか相談というかでクランの精神はボロボロにされてしまいました。
大事をおろそかにし小事ばかり為していると言えばけっしてそうではなく些末且つ矮小な事柄を蔑(ないがし)ろにしてきた所為でそれらすらも覚束ないままに山積みになった業務や調整事項に溺れかけているのは、程より自分自身の所為なのは明らかだとしても、次回に活かすためにはこれはもうなんていうか抜本的な改革が必要になってくる訳だと痛感した次第であります。。
今日という単体に関してはもはやカフェインとニコチンとの複合によるだましだましのドーピングにて乗切らざるを得ないのはさておき、明日や明後日や来週や一か月後や半年後やあまつさえ一年先以上を見据えて、変わらなければならないのですよきっと。。。
じゃけん、したらば何をするべきか・あるいはしないべきかをなるべく具体的に記事にすることで、一旦は整理していこうと思います。
しないこと。
まずは捨てる事から、これはあくまで不要やマイナスを取り除くという意味合いだけではけっしてないのだけれども、客観的に考えて“望ましくない”事象を、今思いつく限りに並べていきます。
・自分を良く見せない。
ほとほと駄目な奴だと自虐に走るのではなく、心の奥底で「本当はやれば出来るのに」だとか「本気を出せば余裕だし」だとか、そういう奢った感情というか思想は、まぁ良くないって事であって。。
出来ていないなら出来ていない事実を現実として認識・見つめ直し、じゃあ出来るようにはどうすればよいのか(極論やれば良いだけでしかないのだけれども)を方法論に頼るのではなく、自分なりにまずは考えてみるのが大切じゃないのかという、そんな疑問。
うまく出来ない前提だけれども、出来ないなりに真摯に物事に向き合うのを心がけたいです。
・自分を責め過ぎない。
私はウルトラハイパーアルティメット気にしぃ(要は度を越した小心者)なのですが、何かしたミスった際にそれを引き摺る癖を改善できないかなぁとか思ったり。。。
反省するって、しんどそうに見えて実際楽なんですよねぇ。つまりは凹んでいる振りをしながら停止していれば事足りるのですから。。
「あの時こうしておけば良かった」っていうのもNGとします、なぜならば結果からすればミスは回避出来ていたたらればの世界線だといえども、そこには「自らが取った行動」に対する責任が有耶無耶になるからです。
失敗が成功の母ということわざがありますが、ならばその娘である成功という概念が常に非の打ち所がない完成された存在かどうかと問えば、畢竟(ひっきょう)、有り得ないのは自明の理でありましょう。
すること。
前提、することとは即ちすればよいだけなのでしょうけれども、怠け者のクランはそれすらままなりません。かなり次元の低い話になりかねませんが、変わる為には致し方ないので恥を忍ばず書き綴ります。
・何事にも感謝する。
これは何も宗教的感性に傾倒するぜって意味合いでは断じてなくて、要は当たり前を当たり前として消化し続ける日常を今一度洗ってみてはどうかという試みです。
薄給とはいえ日々の食事には事欠かないし、ある程度の嗜好品であれば常時手に入るし、かといって生命の危機に脅かされる窮地に瀕していなければ、日常生活を送る上で身体的な不備は抱えていないという恵まれた環境を、見つめ直せよと。。
たぶんきっとすぐには実感が湧かないでしょうから、ともあれ「〇〇ありがとう」と呟くことからでも実践してみようと思います。
しかしながら対人間に関しては押しつけがましくならないように注意が必要な事も忘れずに。。
・無の時間を確保する。
何も考えない空白の時間を、日に2~3回(少なくとも都度10分)は持つようにしたいです、いや、します。
スマホを触ったり読書をしたり喫煙したりそういう“ながら”を排除し、瞑想する修行僧の様なイメージで何もしない時間を捻出する。
無意識化ではきっと思考は止まることはないのだとしても、仕事なり人間関係なり様々な外部を遮断した上でぼーっとすることは、気持ちを切り替える意味でも有用(であるオーストラリアのヴィトゲンシュタインさんは述べていた)が故に。。。