宮園クランがなんやかんやで小説家になるまでのブログ

凡そ社会的地位の無い30代男性が小説家を目指す為のブログ

【慟哭】センシティブブランク

チェンソーマンが面白過ぎてどうしようもない、宮園クランです。







抽象的過ぎて訳が分からない内容だと思う今回。それではご覧ください。

満たされない。

それら文言は大体いつもそんなシチュエーションにてクランへと投げかけられます。



「宮園さんって〓〓〓ですよね」


「〓〓〓ってよく言われない?」


「いやちょっと待って〓〓〓わ」



うん、どうだろう。



一度や二度じゃあ聞かない、たぶん両手の指を折るだけでは不十分な位に、見た目の容姿が年齢よりも若いと指摘されるのと同様かそれ以上に言われるのだから、社交辞令の類じゃないのではと自覚するぐらいには、頻度が多いのはなんとなく分かりました。



でもまぁ、満たされない。

満ち溢れない。

場合によっては無償の場合とそうでない場合(統計的には圧倒的に後者が多い)があるにしても、相手からそんな風に言われること自体は、正直なところ嫌な気持ちにはなりません。



テンション次第によっては、むしろ嬉しいというか誇らしいというか、言いようの無い自尊心の補完よろしく、高揚させられる効果も少なからずあったりする訳で。。



かような背景から、心情的にプラスな状態であれば勿論、後に続くフロチャートも俄然前向きに取り組むというか、分かり易く言えば張り切っちゃう感じになりがちです。



消化するだけの作業感は撤廃、むしろ昇華する為の切磋琢磨によってwinwinに繋がるのでしょうけれど。



しかしながら、満ち溢れない。

全く足りない。

場面のみを切り取って振り返れば、大抵の場合生まれる刹那的な蜜月の充足感は喩えようの無い快感が互いに共有出来たが故か、脳髄に響き、且つ思い出として心に刻まれます。



ですがやはり、何かが違うと私は思わざるを得なくなるのです。



行為の直後は思い詰める事は無いのでしょうけれど、時間をおいてご飯を食べている際・寝床について眠ろうと目を閉じた際、不意にその感覚はまるで理不尽な災害のように我が身に降りかかってきます。



6月の真昼間も、12月の明け方も、4月の真夜中も。



いつもいつでも、どこもどこまでも、何度も何度でも。



壊れたカセットテープの様に、寄せては返す波打ち際の様に、繰り返し繰り返し繰り返す。



結果としては、全く足りない。

終わりに。

明確な解決策、明瞭な打開策はきっと、正式な伴侶を見つけるに他ならないのだと思います。



それによってそれだけしか見えなくなるであったりだとか、趣味の時間が全くなくなってしまうであったりだとか、不確かな理由というか言い訳をして自ら動く努力を怠ってきたツケがきっと、ここにきて追いついたが為の業なのでしょう。



でもまぁ……出会いが無いんだよなぁ……(弱気)



世間的には自粛ムードで、そんなことしている場合じゃないのだけれども、得も言われぬ寂しさをどうにかしたい今日この頃なのでした。。。



本日もお時間をいただきありがとうございました。