マグナ・カルタ(大憲章)のことを「中世の人が血の滲むような努力と多大なる犠牲の数々でもって知識を紡ぎ知恵へと昇華した結果生み出された超絶無比に最強最悪な古代兵器(物凄いカルタ)」であると2日前くらいまで勘違いしていた、宮園クランです。
良い悪いじゃない、ともかく書くんだ。それではご覧下さい。
ネットの世界で友達が出来ました。
スタートはブログであり、後にSNSを利用するにあたり、何人か懇意にさせていただいている方々がおります。
たらればの世界・・・それこそ「if」でしかないのだけれども、私が私の意思でネットの世界より発信することがなければ、おそらく一生かけても知り合わなかった人々である彼ら彼女らは、今ではクランが日常生活を平穏に過ごす為の要素の大半を占めております。
そんな、人との繋がりにおける長所・短所をまとめてみました。
メリット
そもそも仲良くなる大前提として、私が波長の合う人をえり好みして選別するという歪んだバイアスがかかっているのはさておき、気の合う人達とつるんだり実際に直接会って遊んだりすることで、日常生活が充実したものになります。
いや、勿論ベースはおうち大好き引きこもりっ子なのだけれども、それでもケータイがあれば文字のやりとりや通話だってできちゃうわけだし。酷い時は6時間ぐらいずーっと話してた日もあるぐらいで、そうなると目の前にいないだけで意思疎通までとは行かなくともコミュニケーションとか余裕で取れてるのですよね。
IT社会万歳だでよ。
デメリット
リア充氏ねよってくらいにお友達が少ない私にとって、仲が良い人が出来る=その人の動向が気になりすぎてヤンデレ化しかけるという事象がございます。
「最近ツイートしないなぁ大丈夫かなぁ」
だったり、
「ブログ更新しないなぁお仕事大変なのかなぁ」
だったり。
突き詰めて言うなれば(血の繋がりのない赤の他人)にもかかわらず、いらん心配とか勝手にしちゃってる。この共依存っぽい症状に、1ヶ月前にはだいぶ悩まされましたが、今は克服し適度な感じで付き合えていると思えるくらいには回復しております。
気にしすぎだろオイって?
わかる。わかるよ。わかってはいるのですが、コミュ症の気があるクランにとって「受け入れられる」ことは金銭を寄与されるのと同等かそれ以上の多幸感を覚えてしまうので、束ねて縛りにいきがちになっちゃうのですよ。
そしてこれはたぶん承認欲求とはまた別の、それよかもっと厄介な得体の知れない業なのかもしれませんね。。。
終わりに
人との繋がりが形成されるにつれ、今までの自分が諦めていたり中断していた行為にも、目が向き手が動き足が駆けるように、おぼろげながらもなってきております。
成し遂げたいこと。それを達成するに必要なこと。
知らない・出来ない・分からないが多々ある今、
ギャンブルに時間や金銭を使っている余裕なんてものは、
私にはきっとありません。。
本日もお時間をいただき、ありがとうございました。